休クリライターのイステミです。
今年の夏に、旅の相棒カメラオリンパスのEM-5 MK2と共に行ってきたボスニア・ヘルツェゴビナ、後編です。
後編は、ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史と共に、撮影した写真を紹介します。
観光地モスタルの歴史
いまは観光客があふれる平穏なモスタルですが、1992年から3年間続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の時に、前編でお伝えした、歴史的な橋は一回破壊されてしまい、ようやく2004年に再建されました。
橋のたもとにあった石碑。1993年は橋が壊された年
下の2枚の画像はほぼ同じ場所からの画像。
ビフォー
アフター
旧市街の中心部こそ再建されていますが、少し歩くと破壊されたままの建物が結構残っています。写真を撮ってたら、近づいてきたおじいさんが「あそこは昔おれが働いていた銀行だったけど、戦闘の前線になって破壊された」と教えてくれたことも。「旧ユーゴスラビアのころの方がよかった」とはっきり言う人もいたりで、なんとも複雑な気分・・・。
左の廃墟が銀行跡。この通りが当時の前線だったらしい
一見ただの落書きがある廃墟だけど・・・
よく見ると銃弾がささったままの穴がいっぱい・・・
セルビア人だけの町になったヴィシェグラード
それでもモスタルは紛争前から住んでいた人たちがある程度共存しているようですけど、セルビアとの国境に近いヴィシェグラードの町は紛争中に虐殺があったりして、現在はセルビア系の住民しかいないような状況になったそうです。
ヴィシェグラードに向かう途中。ボスニア・ヘルツェゴビナは山国なのだな
これも路上にて。殺された人かと思ったら交通事故の死亡者の追悼碑らしい。日本なら花束を供えるところ、この国ではこんなのを建てるのだ
街中にはいちおうイスラームのモスクもあったけどまったく人の気配はなし。この町にある世界遺産のソコルル・メフメト・パシャ橋は、ノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの代表作『ドリナの橋』で有名で、観光客も結構いましたが、小説の中に書かれていたキリスト教徒とイスラーム教徒が共存する町はもう存在しないのだなあと。
ソコルル・メフメト・パシャ橋。第一次大戦と第二次大戦で破壊されたが都度修復したそう
ぶっちゃけそんなに大したことはないけど観光客は多い
ぶ夜はライトアップも
サラエヴォ、紛争の爪痕
紛争の爪痕は4年間にわたってセルビア人勢力に包囲されていたサラエヴォにもいっぱい残ってます。封鎖からの唯一の抜け道として作られた地下トンネルにいたっては観光名所となっているほど。
地下トンネル。全長800メートルあったうち約25メートルが公開
トンネルの入り口があった家。外壁の銃弾の跡はあえて残してるのだろうな
砲弾の跡を赤く塗ってバラに見立てた「サラエヴォ・ローズ」。紛争中は当然いっぱいあったけど今はほとんど残ってないらしい
紛争を記録する博物館とか展示館も何か所か見ましたが、一部の展示はかなりやばい。気楽に入ると大やけどする可能性もあるので心して入るべきだと思いました。特に、歴史博物館にあった黒い部屋はきつかった。
問題の「Black room」
ご丁寧に「この部屋は見た人を動揺させるような展示があるので各自の責任でご覧ください。生徒を引率してきた教師は特に注意するように!」という警告文まであるのに納得させられるレベル。日本ではとても展示できない代物だが、たった20数年前のこの町の現実だったのだな・・・
一番きつかった6枚組の写真。一番右にあったのはこの男の子が撃たれて横たわってるところ・・・
歴史博物館に飾ってあった絵。見るからに禍々しい
と、若干湿っぽくなりましたが、現在のボスニア・ヘルツェゴビナは歩き回っていて不安を感じることはまったくありませんでした。サラエヴォの町中は平和そのもの。中心部にはモスクのほかにセルビア正教やカトリックの大聖堂やユダヤ教のシナゴーグもあり、この町がいろんな宗教が共存する場所だった歴史を思い起こさせます。
セルビア正教の大聖堂内。ひっきりなしに礼拝に来る人がいました
こちらはユダヤ教のシナゴーグ内。正面の大きな本にはナチスドイツの占領下で犠牲になったユダヤ人の名前が書かれているとのこと
5日間で歩き倒したボスニア・ヘルツェゴビナ
街中にはやたらとアイスクリームの屋台があって60円程度で売ってるので、アイス片手に歩き回ってきました。レモンやらミントやらイチゴやらずいぶんいろんなフレーバーを試したなあ。ボスニア・ヘルツェゴビナはトルコの影響が強いと最初の方で書いたけど、アイスはトルコ風じゃなくて日本と似た感じでしたよ。
アイスクリームの屋台はこんな感じ。
ある店舗にはハイセンスなオブジェも
とはいえ、この国は日本の匂いはほぼ皆無に近くて、わりと近年どの国でも見かける寿司屋も内陸国のせいかありませんでしたね。日本を感じたのは本屋に入った時に欧米の作家に交じって置かれてた村上春樹の翻訳くらい。店員さんに聞いたらボスニアでも人気があるそうな。ラキヤを飲んで酔っ払ってたので、勢いで『海辺のカフカ』を土産代わりに買った代わりに、ボスニア紛争を題材にした米澤穂信の『さよなら妖精』を謹呈してきました。
村上春樹平積み。何冊分かります?
実質的な滞在期間は5日くらいでしたが、十分満喫してきた感はあります。
壮大な建築物とか自然の造形というのがある国ではないけど、東洋と西洋が入り混じった街並みには一種独特な魅力があるなあというのが率直な感想です。全体的にのんびりした田舎っぽい感じながら治安は良好なので旅先としては悪くないと思う。
紛争時の薬莢を活用した土産物
日本ではどうしても凄惨な紛争のイメージが強すぎるし、決して行きやすい場所ではないだけにマイナーな場所であることはぬぐえませんが、既にヨーロッパや中国からはおおぜい行っているわけだし、日本からの観光客も増えていくかもしれませんね。経済がヨーロッパの最貧国レベルだったりといろいろ課題が多い国ですが、この先良くなっていくことを土産代わりに買ってきたラキヤを飲みながら祈っています。
40度を超える酒なのでちびちび飲んでます笑