ここ数年はまとまった休みが取れたら極力海外に行っている休クリライターのイステミです。今年の夏はボスニア・ヘルツェゴビナに行ってきたので、今回はそのご報告です。
旅の相棒カメラは以前の記事でご紹介したオリンパスのEM-5 MK2に14-150mmの高倍率ズームで。
ボスニア・ヘルツェゴビナって?
元々は隣国のセルビアやクロアチアなどと合わせてユーゴスラビア連邦という国家でしたが、連邦が解体する中で1992年に独立した国です。30代以上の方だと「民族浄化」という言葉を生み出した独立直後の悲惨な民族紛争で記憶している方が多いかもしれません。
「なんでそんな場所に行く?」という話ですが、日本人観光客と外国でバッティングしたくないんですよね。その点ここなら大丈夫かな~と思っていったら期待通りでした。
ただし、ヨーロッパ人観光客はむちゃくちゃ多い。そして、最近どこでも見かける中国人の団体さんや民族衣装を着たアラブ人たちも。首都のサラエヴォの旧市街の広場なんて何度行っても人が多かった。
観光客や地元の人でにぎわう旧市街の広場
広場ではハトのえさを売ってました
夜の方が人が多いかも
意外な人気のボスニア・ヘルツェゴビナ
なんでこんなに人気があるのかと想像するに、西欧の人からするとオリエンタルな魅力があるんだろうと思います。というのも、場所こそ東ヨーロッパですが、15世紀から19世紀の後半までオスマン帝国の支配下にあったために、多くの場所でイスラーム風の街づくりがなされたんですね。
モスクもいっぱいあるし、旧市街にはトルコやイランと似た作りのバザールもあるし、ヨーロッパの一般的な街とは明らかに違う匂いがしました。
「皇帝のモスク」という名前らしい
こちらは16世紀に建てられたガーズィー・ヒュスレヴ・ベイのモスク
夜になってもモスクには礼拝する人が来てた
オスマン帝国時代に建てられたバーザール
絨毯も売ってるし、トルコやイランにあっても違和感ない店だなあ
ただし、ボスニア・ヘルツェゴビナがオスマン帝国の支配下にあったのは事実上1878年まで。その後はハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国の支配下になりました。なのでサラエヴォの町にはイスラーム風の街並みの隣にヨーロッパ風の建築も混じっています。
奥に見えるのは町の中心部にあるカトリックの大聖堂
なんかもうどこの国だかよくわかんない
ちなみに、1914年にサラエヴォを訪れたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が暗殺された「サラエヴォ事件」が火種となって第一次世界大戦が始まったのですが、その現場も町中にありました。
サラエヴォ事件の現場。右の建物は博物館になってて事件関連の展示あり
街中を走る路面電車は帝国の首都のウィーンよりも早い1885年に開業したそう。東京中心部なみに頻繁にやってくるのでとっても便利。街歩きではずいぶん使わせてもらいました。
狭い道にも線路が引かれてます
飲み屋でご当地酒に挑戦!
もっともサラエヴォやモスタルといった代表的な観光地の見どころはコンパクトにまとまっているので、徒歩でも十分でしたね。屋外にシートがあるレストランやカフェがずらっと並んでいてすごく開放的な雰囲気です。
天気が良ければ最高です
ただし、ボスニア風コーヒーはいわゆるトルココーヒーなので個人的にはちょっと苦手。ということで地元の「ラキヤ」という蒸留酒を昼間から飲んでました。種類はよくわからないけど果実を発酵させて作っているそうで、良い香りがしてつい飲み過ぎてしまう笑。アルコール度数が40度以上あるので、ホテルに戻ってそのまま落ちた夜もありました。それでも悪酔いにはならず翌朝に酒が残らなかったのは素晴らしい。
左側がラキヤ。基本ストレートで飲むらしい
店名はZlatna Ribica。ふらっと入ったが実は人気店だとか
ついでに地ビール会社直営のレストランにて
こっちもなかなかいい店でした
ボスニア・ヘルツェゴビナで一番の観光地は首都のサラエヴォではなくてモスタルの町です。世界遺産に登録されている16世紀に造られた橋を目当てに世界各国の人が来ていました。長さ30メートル程度の小さい橋なので、歩く人や自撮りする人で込み合っていて渡るだけでも大変だ。
一番の観光地で川にダイブ!
モスタルの橋。そんなにすごいのか?という突っ込みは不可の方向で
橋の上はずっとこんな感じでした
川沿いのビューポイントにはカフェもいっぱい
ビューポイントを探して登ったモスクの塔の上から
ちなみにモスク内はこんな感じでした。ステンドグラス使ってんだ
欄干にはなぜか水着姿のお兄ちゃんたちが上って、観光客から金を集めて回っていた。橋の見物料かと思ったら、ある程度集まったところで、なんと25メートルくらいある下のネレトヴァ川へダイビングしていきました。あー、そういうことね・・・。
最初はなにかと思ったよ・・・
伝統行事っつーかただの観光客向けの見世物ですな
後で聞いたら、橋からのダイビングはモスタルの伝統だそうで、大会も開かれているらしいです。橋のたもとの建物には“DIVERS CLUB”の表示まで。この伝統も含めての世界遺産ということでしょうか。
一人だけ女の子もダイブ!世界各国の男どもの歓声が大きかった
続きは後編で
長くなってしまったので、前編はこのへんで。
後編は、ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史と共に、撮影した写真を紹介したいと思います。